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音(再生音)の評価

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 7月23日(月)09時19分46秒
   趣味のAUDIOだから好きなようにやればよいのだが、やはり他との比較も気になり、自分の音を良いと認めてもらいたいのもうなずける。つまり、客観的評価も欲しいのである。一般的に、高額なコンポ使用者は入力から出力までの各コンポを同じレベルの高額商品で揃えている。音もそれなりのレベルであり、大雑把にはそれなりに客観性はある。
 一方、高額コンポでない場合は、金額的にそれなりの音(危険な解釈であるが端的に言えばの意)と普通には思うことが多い。
 そこで、コンポーネントの評価、選び方(付帯するパーツ、例えばケーブルなどを含めて)には
1. 音の評価を聴感によることを主体にする人(以下聴感派と記す)
2. ある範囲、物理的データを重視することを基本にする人(以下データ派と記す)
の二通りあると思う。
1.の聴感派は自分の耳に絶対の自信を持っており、聴感による評価を最優先する。
2.の方は先ず物理的(データで示せる部分)に評価することを優先する。例えば、
SPケーブルや電源ケーブルによる音の差等。
 どちらも、最終は音を聴いての判断になるが、物理的な人は何故音が変るのか(普通は良くなることの意味)を解る範囲で物理的に納得したい人である。

 CDやアナログレコード、さらには放送からの入力部分からSPを経て耳に達し脳が音楽を感じるまでにはプレーヤー、アンプ、SP、リスニングルームそして各コンポーネントを繋ぐケーブルが必要で、SPまでは物理的に論じることができると思う。
 しかし、最終的には音として耳が聴き取り脳の判断となるので聴感派は、データより聴けば解ると言い、データ派は先ず物理的に納得しないと満足できないことが、話をややこしくする。

 典型的な例が、ケーブルによる音の差があるのか ということについて、AUDIOファイルの間では意見が分かれている。
この場合、脳は思い込みによる認識があることがブラインドテストで報告されている。
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/MyRoom/brainwave.htm
 物理的なデータとして評価は誰でも等しく共有できるが、聴感の方は当人だけが自分の耳で判断するので、別の人はその人の耳で聞き判断するが、当人の判断を共有することはできない。当人が他人も同じように聞こえている筈と思い込み勝ちだがこれは危ない。
 他人の音を安易に評価できない理由である。
 従って、聴感に自信のある人は、他人も自分と同じように聴き感じているはずと思い込み勝ちであり、同じ評価を期待したのに、違った評価の場合はなかなか納得できないであろう。

 自分で最高と思える音が得られたなら安易に他人に評価を求めず、音楽を聴くことに没頭すればよいのではないか。他人の評価は人夫々と思う方が無難であろう。どうしても客観的な評価が欲しいなら多くの人に聞いてもらうようにしないと公平な評価は得られないと思う。

http://www.wa.commufa.jp/~funah/

 
 

再び音のこと

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 7月19日(木)16時44分27秒
   AUDIOの再生音(以下音と記す)については私の掲示板に音楽の聴き方、そしてHPにも考えを書いているが、つい最近経験したことを書いてみたい。

私の姿勢は、音は各人が夫々の感性(音楽経験や人生経験)で聴くのであり、したがって好みの音は同じではない。
そして、聞き方も、静かに聴く、大音量で迫力ある音を好む、ジャンルもJAZZ、軽音楽、クラシック、さらには弦楽器が好き、ピアノが好き、歌曲が好きといろいろである。
 そこで、大方は試行錯誤を繰り返し、自分の気に入る音に仕上げることになる。

問題はここからなのだが、自分の気に入る音になった時、これは自分の部屋での音であり安易に他人に自分の方式をお勧め出来ないと思う。
先ず部屋が同じでない、感性も違う、使用するコンポーネントもプレーヤーからSPまで同じと言うことは先ずないであろう。
であるなら自分の音は自分だけのものであり、音楽を聴くことに没頭すればよいのだが、
往々にして、自分の素晴らしい音を他の人に知って欲しい、認めてもらいたいということになる。つまり客観的な評価を得たいと言うことになる。気持は理解できる。
自分ひとり天狗になっていても落ちつかないのだ。
この場合は、他のAUDIOファイルに聞いてもらうことになる。難しいのは意見を求められても、他人の音を聴いて率直に良い悪いは指摘できないと言うことである。
冒頭に述べたように感性も好みも同じでないこと、音は自分の耳でしか聞けないのであり自分が聴いて感じているのと相手が同じように感じるのかは解らないのである。
だから聴いてもらっても概ね好意的な漠然とした評価の言葉が返ってくるとおもう。これは一種の礼儀とも言える。若し良くないと評価したら耳のせいではないかと反発されかねない。
不満があるから聴いてみてくれと言われても、あからさまに悪いポイントを指摘しないで、当人が納得できないと言うポイントを具体的に聞いてからソフトタッチで相談にのると言うことになろう。

そこで、最近経験したことだが、凄く良い音(数百万円のものと比べても次元が違う)と自認する人から聴いて欲しいとメールがきたのだが、老年の身では聴力が衰えてきており、まともには聞けないからと他との聴き比べを提案したのだが、反感をかってしまった。
何故、私以外のAUDIOファイルではいけないのか。
私のような聴力の衰えた(老人は10khz以上が聞こえないのが殆どである、加えて耳のダイナミックレンジも狭くなっている)者よりバリバリの耳の良い、かつレベルの高い音のオーナー相手の方がよほど正しい評価ができると思ったのだ。
加えて、彼が信頼して導入したアンプやSPの紹介元の姿勢(HPを作っている)に疑問があるといったこともあって反感をかい、残念な結果になった。私のような老人を相手にしてくれたことは有りがたいが、いかんせん聴力の面で役不足ははっきりしており音の感想を聞かれても当り障りのない答えしか出来ないのだ。

自分の情報を知ってもらうには他のWEBサイトにいき掲示板などに意見を投稿するのが手っ取り早いが、とことん自分の思いを発信したいなら是非ホームページを作って問いかけるほうがよいと思う。広く意見交換するにはこれしかないと思う。身近な者だけでは情報は限られている。
そして、思うのは音への評価は、
1. 自分の聴感を柱にする人
2. 先ず物理的なデータを確認したい人
に分かれるようであり、このことが意見のすれ違いに大きく影響すると思う。
 このことは次の掲示板で追記の予定。

http://www.wa.commufa.jp/~funah/

 

AUDIO評論家のこと

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 7月 5日(木)11時16分2秒
   日本ではAUDIO評論家が雑誌やWEBサイトで活躍している。活躍していると書いたのはSTEREO SOUND、AV誌、HPなどでプロと思える人が評論しているからである。
 欧米では故岩崎千秋氏の言によれば日本のようなAUDIO評論家はいなくて、せいぜい製品の紹介記事を書く程度であると言う。
 これは、AUDIO産業規模の大小によると言うことではなく、西洋ではクラシックなど西洋音楽というように生の音楽が昔から日常生活の中に根付いているので身近に音楽に接する機会が多く、AUDIO音楽は、いわゆる家庭用電蓄と言った類で手軽に時間、場所を選ばず音楽が聴ける道具としての利用であり、日本のような高度な機器を扱うAUDIOマニアは少ないので評論家もいないのだと思う。
 日本では寺院などで普通AUDIOで聞くような音楽を生で聴くチャンスはなく、コンサートへ通うしかない。このような社会の違いがあると思う。
 終戦直後、裕福な米人がBOXカメラを多用していたのに、敗戦国の貧乏な日本人は本式のカメラ指向で(撮る道具と言うよりカメラ自体を持つことが目的)あったのを思い出す。
 そして日本も裕福な時代になって撮るため本位の使い捨てカメラが流行した。木(AUDIO機器)をみて森(音楽)を見ないの諺を思い出す。

 AUDIOマニアの中にはAUDIO評論家の言うことに対して、自分と同じ意見の評論家に対してはそれほどでもないが、意見が合わない評論家に対しては信用しないと断言する。
 信用する、しないは個人の自由であるが、公開の場(WEBサイト)などで言うとなればそれなりの説得力がある発言でなければならないと思うがどうか。
 評論家の中には特定のメーカー製品を持ち上げて明らかにメーカーひも付きと思へたり、また、自分の再生装置の音を評して生以上のものがなければ納得しないと季刊誌で公言する天狗評論家もいるが、この人達は自ら信頼感を損なっていると思う。

 これらは別として、AUDIO、音楽活動の実績がある評論家の意見に対し、信用しないと言うマニアで、プロの評論家より音楽経験やAUDIO経験が深いと言える人が居るのか。録音技師や、多くの世界的有名品の時間をかけた試聴(例えばSTREO SOUND誌に執筆している評論家、レコードの録音デイレクター、レコードジャケットに解説を書いたりしている人)などする人に対しそれ以上の音楽経験、AUDIO経験があると自負できるマニアが居るのだろうか。単なる強がりで評論家を信用しないといっても説得力は無い。

 私は、評論の中身が説得力あるものは信頼している。例えば、STREO SOUND誌の執筆者、WEBサイト AUDIO SHEARINGのPeople各人など、さらに、五味康祐の西方の音などの著書はレコードの音をここまで文章で表現できることに感銘する。

http://www.wa.commufa.jp/~funah/

 

音楽の聴き方

 投稿者:管理人  投稿日:2007年 5月21日(月)17時55分44秒
   音楽を聴き楽しむ(演奏家は演奏する楽しみがあるが)と言うことは理屈でなく体で感じるものと思う。
 昔、SPレコードの貧弱な音からでも感動して聞けたと言う人は少なくない。
 音楽(特に再生音)は当人の感性により聴くといわれるが、このことは聴いている音楽は当人だけのものであり、他人が入り込む余地はない。平たく言えば十人十色の聴き方、好みがある。その時、その場所での当人の感性によるものである。
 音楽演奏の基本(楽譜を読んだり、楽器を演奏したり)が出来ない全くの素人(私など)でも音楽を聴いて感動できるのは一見不思議に思う。これは理屈でなく感情や体が無意識に反応するからであろう

 これは、スポーツについても同じで、選手でないのにスポーツ演技を TVやビデオで感動できるのと同じではないか。そして、TVやビデオが高精細であればより多くの感動を得ると言うのは当然の様であるが、では逆に高精細でなければ感動を得られないかというと決してそうではない。 先のアトランタ金メダリストの荒川静香の演技について素人よりスケートの専門家がより感動できるのか。素人は素人なりに感動し、専門家は別の要素(技術的に見た完成度や難易度、スムースさ、表現力など)を注目し感動すると思う。
 感動の中身に差はあっても素人の感動はほんものでないとは言えない。

 音楽でも、ラジカセやコンポで十分に音楽を聴き楽しんでいる人は少なくない。この聴き楽しむと言うことと感動は違うのか。両方とも体が快感を得ることは同じであり、大型システムでないと聴けないということはない。
 自分の感動できるシステム、聞き方はあくまで自分だけのものであり、自前の気に入った音を評価する時でも「自分のリスニング環境ではこのように聞き楽しめています」ということであるに過ぎないと思う。 安易に自分のやり方がベターであり他人に自前システムのノウハウをお勧めできるものではないだろう。人それぞれの聞き方、楽しみ方が有るのである。

http://www.wa.commufa.jp/~funah/

 

感想

 投稿者:一般人  投稿日:2007年 2月 2日(金)16時23分16秒
   真空管でアンプを自作した頃はAUDIOに熱気があった。懐かしいです。

http://www.wa.commufa.jp/~funah/

 

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